「センスがいい」とはどういうことか?

「センスがいい」とはどういうことか?

MVJコラム

センスがいい人っていますよね? その人は何故センスがいいんでしょうか? センスとは先天的なものなのでしょうか?特別な才能なのでしょうか? はたまた努力すれば手に入るものなのでしょうか? 自分に関して申し上げれば、決してセンスがいいとは思っていません。なのでセンスのいい人に対して大変あこがれがあります。嫉妬もあるでしょう。できれば「センス」とは先天的な、特別な才能、ではないと思いたい(笑) できれば自分も手に入れたいとどこかで考えているわけです。 そこで、最近話題になっている本があったので読んでみました。

「センスは知識からはじまる」(著・水野学) センスを良くするためには「知識」が必要と著者の水野さんは申しております。なんとも嬉しいお言葉ではりませんか!本の帯には

センスってこんなにわかりやすくて論理的で、面白いものだったんだ。もう、早く教えてよ、水野さんったら。 —阿川佐和子

とある。おぉ、なるほど!これは面白そうではありませんか! 著者によれば、

  • センスとは数値化できない事象を最適化することである
  • そのためには「普通を知ること」が必要
  • センスとは知識の集積である
  • イノベーションは知識と知識の掛け合わせである
  • センスとは知識に基づく予測である
  • 客観情報の集積がその人のセンスを決定する
  • 「感覚的に、これがいいと思うんです」は禁句

とまぁ、センスを良くするためにはまずは知識を得なさいと仰ってます。確かになるほどそうかもしれません。本の中にもありましたが、例えばある会社のロゴを考えるとき、フォントはどうやって決定していますか?まさか「なんとなくイメージに合いそう」なんて曖昧な気持ちで決めてないですよね?という話がありました。何故かというとフォントにはそれぞれ背景や歴史があってデザインには意味があるからそこまで考えて決めなければならないというのです。 なるほど。知っているのと知らないのではまず説得力が違いますし、その上でデザインしたりできればどんどんセンスアップしそうな気がしますね。よし知識だ! しかし、ちょっと待ってください。私には少し疑問が残ります。

例えば昔の人たちって今と比べて知識量は確実に少ないですよね?では昔の人はセンスがなかったと言えるんでしょうか?そんなことありませんね。ダヴィンチを超えるセンスを持った人がこれまでに何人もいましたか?そんなことありませんよね。ダヴィンチは我々よりも知識を持っていたのでしょうか?そんなことありませんよね。少し水野説が揺らいできました。 鹿児島にある障がい者支援施設しょうぶ学園はどう説明したら良いのでしょうか?

知的障がいを持つ利用者さんが創造する作品群は圧倒的なセンスでもって我々見るものに語りかけてきます。知的な障がいを持っている人が水野さんのいわれるような知識を得ているとはとても思えません。無目的的に作品作りに没頭し、出来上がったものに対する執着がない彼ら彼女らの作品はめちゃくちゃにセンスがいいのです。 結局「センスがいい」ってどういうことなのでしょうか? もしかしたら、どちらの方向も正解で、中途半端な立ち位置なのがセンスないってことなのでしょうか?なかには「センス」という言葉のとらえ方が人によって違う、という方もいらっしゃるかもしれませんので念のため辞書で調べておきましょう。

 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的な―がある」「―のよくない服装」「バッティング―」
 判断力。思慮。良識。「社会人としての―を問われる」(goo辞書より)

んんんんん。ますますわからなくなっちゃった。私は物事を理解するセンスがないんでしょうか?

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